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2006年 12月 03日
昨今、報道をみると「いじめ」に関する報道が増えているようだ。 どうも実際に学校内で「いじめ」が突然増えたわけではなく、これまで隠していた数字が実態とはかけ離れていたというのが本当のところであろう。 ここで、教育委員会の問題を取り上げる気は全く無い。なぜならば教育現場での対応は彼らには全く無関係、政治的な問題での介入は積極的に行うが、それ以外は全く無関心な彼らだからだ。 さて、私の妻が学校から配布された、いわゆる保護者向けの書面「文部科学大臣からのお願い」をここに公開する。(文部科学省からの直接の紙では無いようなので、この書面を出すと住んでいる地域も特定されるのかもしれないが・・・) 文部科学省が出した書面らしいが、あまりの内容の薄さに呆れるのである。 その書面の中のいち文に 「一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱きとった生命。無限の可能性を持つ子どもたちを大切に育てたいものです。」 とある。 このような、全く心を感じない文章も久しぶりに見た。 なんとも、無味乾燥の官僚的文章である。このような文章を恥ずかしくもなく片手間にアリバイ作りの為に書いている役人とそれを配ってしまう破廉恥な文部科学省大臣 伊吹文明 この大臣の下の名前を覚えさせるのにはうってつけの書面くらいに思ってしまうのは私だけか・・・。 文部科学省がどう思っているのかわからないが、いじめによる自殺がゼロとか、いじめによる自殺ではないとか、私はもう聞き飽きた。 地域に警察があり、刑法があることは、理由はどうあれこの社会に犯罪が起きることを前提としているわけだ。 この前提に対しては一部反対論があってとしても社会的認識は当然得られてるものであろう。このように考えれば、「いじめ」たるもの起こりうることで、最悪自殺にいたることもあるという認識を持つ方が真っ当であろう。官僚と教師たち(一部か多くかは分からない)が一緒になって 「いじめ」見ないふりキャンペーン をはってきたとしか思えない。しかもそこから生まれるのは思考停止だけである。 まず、「いじめ」があるという前提に立てない限り、それに起因する自殺も防げず、またそれをあたかも社会の問題にすりかえようとする関係者たち。 自分達教師、官僚もかなりの部分責任があってしかるべきなのである。 通常、管理している人間(大臣)が書く書面が発行されるとき、最初に書かれる文言は常識的にいってこうであろう、 「教育者たる教師たちの力も及ばないことがあることは反省せざるをえません、ただ皆さんにも協力していただきたい・・・・」 ということであろう。 自らの組織の長たる人間は、その管理する人間達の責任に関して一切触れていないとはどの様なつもりなのか。 そのような常識的範囲で物が言えない人間達が教育に携わっている事もまた問題なのである。 全てが教師の責任であるという気持ちは一切ない。 ただ、教師とそれ以外の人間達(両親など)が両者で「いじめ」があるという前提で連携することだ。 しかしながら、両者ともそれも出来ない世の中になりつつあるのも、また事実のような気がする。 教師よ、君達の仕事は子どもをいかに健全に教育するかなのであって、書類を書くことではないのだよ。
by eric_brea
| 2006-12-03 22:08
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