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2006年 08月 16日
先日NHKで”第38回 思い出のメロディー”などという番組をやっていたので見てしまった。
下記がその紹介のアドレス http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-08-12&ch=21&eid=24798 実際に私が見たのはフォーク系の部分で、おおむね昭和40年代(1965年)から50年代(1975年)にかけてのものだった。 私自身生まれが昭和40年(1965年)の東京ということもあって、これらの音楽は幼稚園、小学校時代に聞いた歌だったはずである。 さすがに小学校高学年くらいに流行った曲などはその時の記憶として残っているのだが、その前あたりはこんな歌もあったなあ、という感じでテレビを見ていたのである。 その昭和40年代とは、いわゆる70年安保を中心とした10年間であり新宿騒乱、全共闘、ベトナム戦争、国内での左翼過激派の先鋭化と内ゲバ、国労、動労のストライキ、順法(遵法)闘争など、世間はあたかも人間の成長過程の反抗期のようにうねっていたと思うのである。(もちろん旧ソ連のコミンテルンの後ろ盾があったこともあるが) 昭和50年(1975年)当時私自身は当時その現場ともいえる東京に住んでおり、山手線などに「スト決行中」などの短冊状のものが緑色の車体が見えなくなるくらい貼られていたことを思い出すのである。 街は反逆という名目の若者のエネルギーと、国内外のテロリズム、アメリカと小国ベトナムの戦争、テレビでは幾度と無くベトナム戦争の映像が流されいたことを思い出す。 東京の国立競技場の脇の”明治公園”に行けば、常に何らかの集会をやっていたことも記憶としては大きな一部である。 しかし、わたしは今、その当時のフォーク系の歌を聞くと、なんとも言えない不安感に襲われるようになってきていることに気づいた。 そのNHKの番組ではアナウンサーが、 「元気をくれた歌」、「素直な歌」などと言っているのは、まったく的外れの遠い出来事のようにも思えたのである。 社会が常に不安感が漂っている状態では、それを敏感に感じる子供の自分は、知らないうちに不安感を覚えたのか、それとも私だけがそうなっているのか。 そんなことを感じさせた番組だったのである。 私のような人間がいつの世にもいるのならば、世界で常に起きている戦争状態の中での子供達、大東亜戦争、特に末期の子供達の何人か、いや、どのくらいの人数になるのかわからないがいた筈である。 いまも、レバノンで、イラクで、北朝鮮で、それ以外にも内戦状態の国々で、子供達はその状況を受け入れざるを得ない状況で生活しており、将来について彼らの精神状況には何か残ってしまうのではないかとも思ったのである。 たしかに、戦争でもない程度の内容で不安になる私が弱く、私自身が不安定要素を持ち続けているのだが。 私の父親も陸軍幼年学校を受験した軍国少年だった(不合格だったが)。 私の母親は疎開児童だった(田舎の子供達にはいじめられたという)。 私の義理の父は、朝鮮半島から命からがら逃げてきた(朝鮮人の追いはぎに家財を渡して逃げてきた)。 皆、不安という社会状況を通り過ぎてきている人たちだ。 あの人たちに、不安を思い出すことはないのか。 そう、私の母は私が小学校の頃にも「空襲の夢を見て怖かった」と戦後20年以上たったときにも言っていたことを思い出す。 その母の不安は戦後から絶え間なく続いていたのだろうか。 私もそのような長い記憶の枷をはめられて生きているのだろうか。
by eric_brea
| 2006-08-16 20:53
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