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2007年 09月 16日
ブログを引っ越します。
これまでの記事は持って行きません。 まあ、気分転換みたいなものです。 引越し先アドレス ↓ http://jiyuuishi.at.webry.info/ です。 ブックマークの変更よろしくお願いします。 そんな奇特な方が居れば・・・・(苦笑) 2007年 08月 20日
先月7月の参議院選挙、結果だけを見れば民主党の大勝、自民党の大敗と断言できる。
これを巷間、民意を反映した結果が民主党を対象させたという風潮があるのもまた確かなのである。しかも安倍政権にとっては、今回の大きな争点になってしまった「不正に搾取された年金問題」という事以外に閣僚の様々な失態も重なったことは選挙にる大きな原因になったことは間違いないであろう。 しかしながら、この選挙が本当に「民意」に基づくものなのか私は疑問を持っているのである。 結局、民主党が大勝し、その恩恵をうけるのは「社会保険庁職員」と考えればその大きな流れが理解できるであろう。 昨年からの流れは、ミスター年金と言われる 民主党の「長妻議員」による政府自民党への年金データの消失問題の追求。 しかも、政府自民党の得るデータと言えば「長妻議員」のデータよりもお粗末なものであり、後手後手に回ってきたことは皆さんもご存知であろう。 「社会保険庁」は政府自民党へのデータを小出しにし、同じデータをタイミングよく民主党へリークしながら、世論工作として最大限利用してきたと思われても仕方がないのである。 それほど全てのデータの出し方が意図的であるとも思われる。 選挙直前に「社会保険庁」の監視役の輩が、「社会保険庁」に自民党が5000万件に及ぶ消失データの突合を行わせる、と約束をしていたにも関わらず、その作業が一切現場では行われていないことを敢えて公表するなど、選挙戦として自民党にとっての不利な材料を提供することになった。 (何回も言うが、あの社会保険庁のCMに出ていた女優が年金を収めていなかったのも、間抜けな男、菅直人も、本当にそうだったのか?データの消失だっただけではないのか?その当時は、だれも思わなかったのであるから、今更ながら間違いではなかったのか、そう思うのである。) 考えてみれば、我々は社会保険庁長官に民間から村瀬氏が登用された時も同じような光景を目の当たりにしてきたではないか。 その当時、村瀬長官から発せられた「年金徴収率のアップに関する文章」、これも庁内からのリークから始まって、政府自民党への任命責任が問われていた。 民主党の小沢一郎は、基本的に自ら与党になることのみに野心があるだけで国民のための政治を行うとは到底思えない政治経歴であるから、支持母体である「自治労」「官公労」などを利用しながら、またそれらに一時的に利用されても政権を奪取できればいいと考える。それが小沢一郎の政治手法であろう。 まさにその点、「自治労執行委員」相原久美子氏を民主党比例区で、極めて高い順位に持ってきていることからも、その政治手法が問われても仕方がないのである。 ↓「自治労執行委員」相原久美子氏のサイト http://210.170.58.152/ 今回の選挙は、その争点を「年金問題」としながらも、実際は小泉前首相時代から続く「改革路線」(=地方、および農村の切捨て、公務員の首切り独立採算制)によって冷や飯を食わされている、公務員、地方、農村からの票を得ることが裏のテーマであったと思う。 非常に分かりやすく言えば、小泉前首相に冷や飯を食わされている人間達を票に結びつけただけなのである。 こう考えてくれば、今回の選挙で勝ったのは民意と思わせた世論工作を行った「社会保険庁」=「自治労」「官公労」であり、民意ではないのである。 民主党が、本当に自ら政権をとるならば、ここまで行ってきた「社会保険庁」の犯罪的行為をまず裁かなければ民意を得られないであろう。 その覚悟が民主党には必要なのである。 我々も、社会保険庁から出てきたデータが政治的な問題としてリークされているということを充分理解した上で、あらためて年金データ消失問題等を犯罪行為として捉えていかなければならないという課題を与えられているのである。 私には、この選挙の大勝で「社会保険庁職員」のほくそ笑む顔が頭に浮かんでしまうのである。 そう、今回の選挙には民意の反映は皆無だったのである。 参考 「自治労執行委員」相原久美子氏の発言に言及しているサイト http://diary-or-notes.cocolog-nifty.com/blog/2007/07/post_e1e4.html 相原久美子氏が、自治労責任問題に答えている番組 (YOU TUBE) http://www.youtube.com/watch?v=S-X-gHkhUKc 2007年 07月 03日
一連の発言で、結果的に久間防衛相が辞任をした。
しかもその理由たるや、「参議院選挙に影響を与える」という低次元の理由である。 マスコミが、その言動をマッチポンプで取り上げるのもいいのであるが、今国民にとっての直近の問題は国民が払った年金を国が横領してしまったという国民に対する国家的犯罪行為なのである。 もちろん、広島、長崎に対する原子爆弾投下は断じて許されるべき問題ではない。それが極東軍事裁判で有罪にならない戦争行為であってもである。(許す許さないは、有罪無罪とは異なるものなのであるから。) その上で防衛相はそこに触れるべきではなかったと私は考えている。 今回の辞任劇も結果的に、現在追求をし続けなければならない「年金問題」を粘り強く、冷静に、追及していくことがマスコミの役割であろう。 防衛相の首は変えられても、払った年金はそうそう戻ってくるとはいえないのである。 2007年 07月 01日
社会保険庁の無能さと、でたらめさ、違法行為の連続を断絶させるために「日本年金機構」という民間団体(?)になるらしい。 しかしながら雇用されるのは元社会保険庁職員であるから、その結果は押して知るべしであろう。 安倍自民党総裁は言う 「民間の力で年金業務を再生させる」 と。 本当にそうなるのであれば、現在の政策決定以外の業務を行っている公務員は全て民間で出来るという証左となるであろう。 もう10年以上前のペーパーバックではあるが、笠井潔著「国家民営化論」のようになってしまうのか。 当時は、アナルコ・キャピタリズム(現在の無法資本主義とは違い、政府に干渉されない自由な人民の資本という意味で使われていた)などという言葉が一部で流行り始めていた頃で、その当時のわたしは、絵空事と思っていたのであるが、こうなった今現在それもあながち絵空事ではないように思えてくるのである。 政策決定業務以外が全て民間、というのもまた面白いかもしれないと思い始めてきたのである。 笠井潔 「国家民営化論」 http://www.amazon.co.jp/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E6%B0%91%E5%96%B6%E5%8C%96%E8%AB%96%E2%80%95%E3%80%8C%E5%AE%8C%E5%85%A8%E8%87%AA%E7%94%B1%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E3%80%8D%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%96%E3%81%99%E3%82%A2%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%94%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%BA%E3%83%A0-%E7%AC%A0%E4%BA%95-%E6%BD%94/dp/4334061036 2007年 07月 01日
なくなった5千万件のデータ。
収めた年金が支払われない。 収めた年金の記録が無い。 収めた年金を社会保険庁職員が着服している。 第三者機関による審査委員会。 この機関でどれだけの案件を処理できるのか。 最終的に落ち着くところは、 全員に全額を支払う。 こと以外にはないのであろう。 しかし、待ってくれたまえ。 これまで、その記録をつける職務を仕事としてきた社会保険庁、その他地方自治体に払われたこれまでの給与というコストは何であったのか。 血税などという言葉は使いたくないのであるが、やはり収めた税金は充分結果の出る形で使って欲しいというのが実感なのである。 なぜここで、現役世代もしくは納税者世代がそのツケを払わされなければいけないのか、全く理解できないのである。 それこそ時効を撤廃して過去に遡って、年金業務にかかわった全ての公務員の給与を均等に今回の事後処理に充てる超法規的法案を通過させてほしいのである。 それこそが本当の国民の救済であり、仕事をする上での責任の取り方であろう。 年金時効撤廃法案にも疑問をもつのは、まさにその部分なのである。 2007年 07月 01日
年金の請求に関する時効撤廃法案が可決したのは少し前のことである。
この年金時効撤廃という、なんともはや怪しげな法案。 過去に遡って会計法とは矛盾する方法であるという声もある。 それならば、法案によって救済とは言え、過去の問題を時効にしないということであれば、 戦争中、内務班で上官に合理的理由も無く暴力を振るわれた兵士が上官を告訴し、刑罰を与えることもできるのか。 過去に、いじめられていた人間がそのいじめていた人間を告訴して刑罰を与えられるのか。 この法案は、国家公務員の行ってきた反社会的行為を救済するにすぎず、表面上大丈夫ですよ(本当に大丈夫かは別として)とつくろっているだけの法案だと言える。 国家による国家のための公務員による法案といえるのであろう。 今回の対象が公務員であるために法案は提出され通過したが、これが民間であればどうか。 完全に会社としての存続はないであろう。だから民間は毎日が辛いのだ。 法案を作る側であるために簡単にその存続のために法律を変えてでも法案を通したのであろう。 この行為は、最終的に国民を騙すものであると思わざるを得ないのである。 そこで、あのピエール・ジョセフ・プルードンの言葉を思い出すのである。 「国家は窃盗の機構である」 プルードンについて-1 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%B3 プルードンについて-2 http://www.grsj.org/colum/colum/prouhdon_kaheikaikakunitsuite.htm プルードンについて-3 http://www.minc.ne.jp/~saito-/travaux/P&M.html 2007年 06月 24日
![]() あまりにも下品であった、日本国首相・自民党総裁「安倍晋三」の菅直人批判。 そのときに誰が大臣だったか。。。 それを安倍首相自身が言ってしまったのである。 安倍晋三は、ご存知の通り岸信介の孫。 岸信介は、極東軍事裁判でA級戦犯として有罪となっている。 昭和16年12月8日当時は、商工大臣であった。 つまり、閣僚であったのである。 それならば、岸信介の責任追及をしなければならないが。 極東軍事裁判で、その結果は出ている。 極東軍事裁判自体をきちんと否定して、その上で菅直人を批判するのであればよいが、 ただの思いつきで言ってもらっては困るのだ。 そんな私は、この政権は早晩だめになるのではないかと思っているのだ。 日本てこんなに「卑しい国」だったのか。 美しい国・・・ 首相自らが卑しいのでは、どうにもならないであろう。 私も、卑しい国の国民として、一枚のビラを作ってみた。。。。。 2007年 05月 12日
先般起きた「大分のトラック暴走」事件。
昨日5月11日の報道ステーションで報道をしていた。 その中のVTRの中でインタビューを受けていた長友容疑者の母親。 全身が写り、顔にも処理は施されず、そのままの報道であった。 こう言ってはなんだが、田舎のおばあちゃんという感じで、犯罪者の母親としてテレビに出るということがどういうことか分かっていないのではないかと思ったのである。 つまり、テレビ朝日(取材に行ったのはだれだか知らないが)はそこに付け込んで、インタビューを取って来たに違いない。 少しでも敏感な感覚を持った人間であれば、犯罪者の母親としての取材など断ったであろう。 ここで、私はテレビ朝日(系)の報道機関の大きくふたつの倫理観の欠如と人権に対する無配慮を感じたのである。 1) 今回の事件は長友容疑者(下記引用を参照)54歳という、立派な成人が起こした事件であり、それに対して拙速に母親にインタビューをするのは、犯罪者の家族というだけで世間に顔を晒す、いわゆる低次元の大衆私刑(リンチ)にすぎないのではないか。 2) もし仮にそのVTRを入手しても、テレビ番組という全国的な報道番組では取り上げない。というのが報道機関としての倫理観のあり方ではないのか。なぜならば、結果家族も犯罪者(しかも成人である)の一員にしてしまう可能性がある。 つまり、この報道機関というものは金もうけの機関であり、それ以上でもそれ以下でもない。 田舎で慎ましく過ごしている老人の人権をも、金儲けのためにずたずたに破壊してしまうのだ。 これまで、このような人権の侵害、無配慮は数々行われてきた。 それに対しての反省たるや、金にひれ伏したる報道機関という名の金儲け機関には一分もないのである。 テレビが、総務省の口出しに対して頑なに反対している一方で、毎日人権は踏みにじられるのである。 それが平均的テレビ報道というもののあり方なのであろう。 私は、このような事が起きるたび思うのは、あの「あさま山荘事件」の犯人「連合赤軍兵士、坂東国男(当時25歳)」の父親があさま山荘事件の報道によって首吊り自殺に追い込まれたことを思い出さざるを得ないのである。 父親の残された遺書には「人質にされた方には心からお詫び致します。・・・・・残った家族を責めないで下さい」と記されていた。その日も嫌がらせの電話がかかっていたのだという。 一億総白痴化といわれて、もう半世紀。 一億の中には当然番組製作者も含んでいるのである。 私のブログで過去にも同じような記事を書いていました。 ↓ http://jiyuuishi.exblog.jp/460937/ テレビ朝日 報道ステーション サイト ↓ http://www.tv-asahi.co.jp/hst/ +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ =2007/05/12付 西日本新聞朝刊= 引用 「店の対応に立腹」 大分のトラック暴走の運転手 10日深夜から11日未明にかけ、大分県の国道210号などを約50キロ、3時間にわたって10トントラックで暴走した後に、建造物損壊の現行犯として逮捕されたトラック運転手、長友福富容疑者(45)=宮崎県都農町川北=が大分県警の調べに、「勤務先の会社の対応にむしゃくしゃしていた。(飲食した料理店で)料理が残っているのに閉店を告げられ感情的になった」と供述していることが分かった。 長友容疑者は、時速30‐40キロで蛇行しながら逃走する間、大分県日田市で11台、玖珠町で4台、由布市で2台の、いずれもトラックと接触していた。「普段からトラック運転手のマナーの悪さに腹が立っていた」とも話しているという。 調べでは、長友容疑者は宮崎県日向市の運送会社に勤務。10日は福岡県朝倉市から牛の肥料を積んで帰る途中で、午後7時ごろ日田市の飲食店に立ち寄りビール1本と焼酎ロック5杯を飲んだ。閉店を告げられたため午後11時ごろ店を出たが、代金3800円を払わず、トラックに乗り込むと後退させて飲食店のガラス戸などを破壊した疑い。また、由布市では「男が自分を見ていて、ばかにされていると感じて」(長友容疑者)、コンビニにもバックで突入するなどした。 =2007/05/12付 西日本新聞朝刊= 2007年05月12日01時52分 http://www.nishinippon.co.jp/nnp/local/oita/20070512/20070512_003.shtml 引用終わり 2007年 05月 04日
石原慎太郎、昭和7年生まれ。
昭和20年8月15日には12歳と11ヶ月、13歳になろうというところか。この年齢というのは一番素直で、感受性の強い時期ではないだろうか。 石原慎太郎の戦争観、愛国観は私の父親(昭和6年生)とそっくりなのである。 そう、私の父親と石原慎太郎の言動が重なって見える時がある。 (私の弟(それなりに出来る男)には厳しく、私のような愚息(彼の場合4男?)にも甘いというのもそっくりだ) 彼らにとって、敗戦までの12~13年間は軍国少年、小国民そのものであり、そこに純粋な自らが存在していたという私の思いがある。 そして、敗戦後に大きな波となってやってきた共産主義(マルキシズム)。 教員や、彼らの一世代上はどんどん共産主義にのめりこんでゆく。 そして彼らも上の世代を見ながら自らを共産主義運動(情緒的なものも含む)、反体制的視点に入っていくのである。 そしてそこで得た共産主義者たちの「裏切り」「分派」など、実際の共産主義者達に徐々に幻滅していくのである。 石原は、よくある文学青年の思いとして思想的に反体制的視点へいたのだが、その後の 自民党(青嵐会)⇒新自由クラブ⇒自民党 という保守的な立場の流れをみれば、軍国少年に戻っていく経緯が手に取るように解るのである。 70という年齢に達した彼らの美しい自分への回帰が、今の保守的言動及び行動の原点なのだと思う。 今回公開となる映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」などは、その美しい自分とそれを取り巻いていた社会への回帰(ノスタルジー)以外の何ものでもないであろう。 彼にとって、社会も自分も美しいと思っていたあの頃。 それが西欧的価値観、共産主義思想において粉々に破壊されたという思い。 彼の言動には、いささか勇み足のものも多いのも事実であり、それは子どもが「言い過ぎちゃった」という感覚に見えてしかたないのだ。 私ににはこう見える。 石原慎太郎は、昭和20年の8月15日の午前中で時間をとめた純粋で、ひねくれた軍国少年であると。 2007年 05月 04日
朝日新聞の故小尻記者。
個人的には痛ましい事件であるし、ご家族の方も大変な思いをされてきたことはお察しします。 あらためてご冥福をお祈りします。 そして、様々な立場で文章を書いて殺害された方々にたいしても、ご冥福をお祈りします。 今日(2007/5/4)の朝日新聞の記事を読みながら思ったのである。 朝日新聞社にとっての「小尻記者」はその昔戦前の表現を借りて言えば「軍神」「殉教者」ではないか。 朝日新聞も書いている通り、犯人は未だ逮捕もされていないにも関わらず20年も経っているのである。 我々個人としてば、知人が殺害されて20年は時が止まっているといってもいいのであるが、言論機関である「朝日新聞」としては、20年の間毎年欠かさず、また似たような事件が発生しても欠かさずに「小尻記者」を紙面で取り上げてきた。 これはその昔、日露戦争で戦死した軍人達、宗教的に殺害された宗教者などを自らの組織、体制を引き締めるために、あるいは、公なる被害者という観点で利用してきた事と何が違うのか。 朝日新聞でも、職務上で死亡した記者もいるであろうに、「小尻記者」だけが取り上げられる。 これも20年続けられたらほとほと胡散臭さも感じてくるものだ。 もちろん、我々が言論に対する暴力、圧殺に対して反対していかなければならないことは解っていても、最近この記事を見るたびに辟易としてしまうのもまた事実なのである。 朝日新聞は、今後50年経っても、100年経ってもこの朝日新聞における軍神「小尻記者」殺害事件を元に記事を作り上げ、いわゆる「民族派」「右翼」に対する金科玉条として使っていくのであろう。 これは、朝日新聞という言論機関としてではなく、朝日新聞社という組織としての自らの引き締めもこれに尽きるのである。 asahi.com より引用 http://www.asahi.com/national/update/0503/OSK200705030037.html 阪神支局襲撃から20年 小尻記者悼み拝礼所に630人 2007年05月03日20時51分 朝日新聞阪神支局(兵庫県西宮市)が散弾銃を持った犯人に襲われ、記者2人が殺傷されてから3日で20年になった。犠牲となった小尻知博(こじり・ともひろ)記者(当時29)の遺影を掲げた同支局の拝礼所には、朝から市民ら約630人が訪れた。広島県呉市の小尻記者の実家では法要が営まれ、関係者がテロを許さない社会の実現に力を尽くすことを誓った。 阪神支局には拝礼所を訪れる市民らの列が出来た=西宮市与古道町で 朝日新聞を狙った一連の事件は03年にすべて公訴時効になった。その一方で、暴力で言論を封殺しようとするテロはいまも絶えない。事件が起きた午後8時15分には、支局3階にある襲撃事件資料室に朝日新聞関係者約80人が集まり、黙祷(もくとう)した。 「この記事の関連情報をアサヒ・コム内から検索する」でキーワード入力で「阪神支局襲撃」をクリックした結果 ↓ http://sitesearch.asahi.com/.cgi/sitesearch/sitesearch.pl 2007年 05月 02日
昨今取りざたされている、プロ野球の大学生へのひも付きのお金の問題、また高校生への野球特待生への疑問。
これらの問題には極めて表面的で底の浅い議論が行われていると思っている。 西武球団の裏金問題の発表(あえて露呈とは言わない)があってから、球団が学生にお金を出すことが悪いということが一般的な風潮となっているようだし、またプロ野球機構もそう考えているようだ。 しかし、球団が野球センスのある学生に授業料なり、東京(またはその大学等)での生活費を補助することが悪いのかどうか。 もし、その目的が社会性を持った上での補助であればどんどんしてもらいたいのである。 その社会性とはなにか。 端的に言えば、プロ野球が社会において野球センスのある学生、社会人に平等に機会を与えることである。 今回の西武球団の問題は、西武球団がその学生に補助を出した代わりに、その学生は西武に入らなければいけない、という雰囲気(まあ常識的にはそうなるであろうが)があることである。 これがもし、プロ野球機構において選手を認定して、各球団から供託金のように集めたお金を使って補助するならばなんの問題もない。つまり学生がお金をもらっていても自由に球団を選べることが重要なのである。 また、これが無理ならば、各球団は直接学生にお金を補助していることをプロ野球機構に申告をして、更に「補助を出した球団は特別の扱いができないこと」と明言させればよい。 どの人間にどれだけの金額が補助されているか分かり、なおかつ出ているからといって学生が拘束されないということをしなければいけないであろう。 このようにお金の流れが透明であれば、世間も納得するであろうし、また社会性を持ったお金の使い方ということになるであろう。 また、高校野球の特待生問題もそうだ。 野球で特待生になってはいけないのか。。。。 それはあくまでも私立の学校の経営方針であって、それを行わない学校と行う学校があってしかるべきである。 大体、「高校野球は朝日新聞(毎日新聞)で!」と毎年春と夏には大手全国紙が堂々と広告をおこない、高校野球を利用してきたではないか。 スポンサーになってもいいのだが、高校生をつかって自分の新聞の拡販につなげるとは何事か。 もちろん、テレビ媒体マスコミ各社もどれだけ高校野球で食べさせてもらってきたか、それが今回の特待生制度も、もちろん知ったうえでの報道であったことは間違いないのである。 みなさんの周りでもそうだと思うのだが、巷間では野球推薦、野球特待生などは当然あるものとして認められてきたからである。 ここまでを考えれば、「日本高校野球連盟」という団体が、お金(特待生)に関して知っていたにも知っていたにも関わらず放置(認めて)してきた責任を問われないようにしようという逃げ口上というだけなのである。 もう、高校野球なんてものは地元の名誉なんてものではなく、野球が好きな人達が行う競技でいいのではないか。 地元のなんとか、地域のなんとか・・・・そんなものを背負わせるからおかしくなるのである。 今年の全国の高校野球の大会は人が入らないことで「朝日新聞、毎日新聞」は拡張に苦労する。そんなことも思ってしまうのである。 高校生諸君! 日本高校野球連盟を堂々と脱退して、本当に野球を好きに出来る時がやっと来たのだよ。 >>>引用 今問題となっている学生野球憲章 第十三条 第十三条 選手又は部員は、いかなる名義によるものであっても、他から選手又は部員であることを理由として支給され又は貸与されるものと認められる学費、生活費その他の金品を受けることができない。但し、日本学生野球協会審査室は、本憲章の趣旨に背馳しない限り、日本オリンピック委員会から支給され又は貸与されるものにつき、これを承認することができる。 (2) 選手又は部員は、いかなる名義によるものであつても、職業野球団その他のものから、 これらとの入団、雇傭その他の契約により、又はその締結を条件として契約金、若しくはこれに準ずるものの前渡し、その他の金品の支給、若しくは貸与を受け、又はその他の利益を受けることができない。 >>>引用終わり 財団法人日本高等学校野球連盟サイト ↓ http://www.jhbf.or.jp/rule/charter/ 2007年 03月 04日
巷間、米国の政治的な問題などと言われているタミフルであるが、政治的なことは他のブログに任せるとして、
今回のブログでは私の娘が2月末にかかったインフルエンザで処方されたタミフル服用時の症状についてのみ書くことにする。 2月末に娘(小学校3年)が38度丁度の熱出して近くの小児科(町医者)に行き、インフルエンザと診断されタミフルを処方される。 (我が家では、昨年11月に予防接種を全員受けている) 処方された量を初めて服用した後、2~3時間で嘔吐する。 その後、目を開けつつも視点の定まらない感じでなにか言っているのを認める。 その後「怖い怖い」といい始めた。 それを見て、タミフルの服用を1回で停止した。 これが事実だけを書きとめたものである。 娘に回復後、目を開けてなにが見えたのか?と問うたところ 「沢山の人が走っていて、「逃げろ!」と言われた。そして腕をつかまれた」 との答え。 そしてその後、怖くなってしまったとのこと。 小学校3年生であるから、あながち間違ってはいないであろう。 タミフルが原因なのか、熱でうなされていたのか? しかし、熱はそのとき測ったが38度丁度であったのだ。 この熱でうなされるとも思えない。 何か幻想を見てしまうのがタミフルなのか。 中学生が高層階から飛び降りてしまったという。 それはどこかに逃げようとしていたのかとも思ってしまうのだ。 私は、ただただタミフルを服用させたくないと思ったのである。 2007年 01月 03日
2007年1月3日の朝日新聞朝刊 伊勢剛(33歳)朝日新聞記者 引用
「失われた10年の間に正社員としての道が閉ざされ、社会からはじき出されてしまった若者たちは今、どんな日々を送っているのか。ロストジェネレーションが仕事、そして自分自身と向き合っている現揚を、同世代の記者が訪ねた。」 引用終わり と、現代の若者像を追っているように思えるが、 その本文の中で、 その記事の引用 鼻水が垂れてくる。だが、マスクをしていてぬぐうこともできない。垂れるにまかせ、不快感に耐えながら芯をくりぬき続ける。(ひょつとして一日中、この作業をするのか)逃げ出したい気持ちになったが、1時間ほどで、別の作業をするよう指示が出た。 次は芯なしタマネギを洗浄機に運び、洗ってから自動カッターで千切りにする作業だった。大量のタマネギは牛丼になるらしい。普段、何げなく食べているファストフードの陰には今の自分のようなワンコールワーカがいたのだ。 以下 略 引用終わり と、書いている。この記者は世の中の低価格で大量消費される物には、劣悪なる労働条件と低賃金で働く労働者がいるという事をいまさらながらに語っている。 しかも、その労働から「すぐ逃げ出したくなった」とも。 まさに、これは小学生の低学年レベルの子ども感覚であって、30過ぎの社会人(朝日新聞の記者ならば、たぶんこの記者も年収1000万はもらっているであろう)がわざわざ文字にすることではないのだ。多分この労働がいかに劣悪であるかを表しているのであろうが、このような労働は、その辺にいくらでも転がっている。 町工場でも、新聞配達でも、その他多くの労働がそうであろう。 この、伊勢剛なる記者の労働感とそれを伝える稚拙な文章には、はなはだ疑問をもたざるを得ないのだ。 我々は、年齢に関係なくそのような労働環境と賃金とその生活に、いつ変わってしまうかもしれない、それが今の「日本の労働のしくみ」なのである。我々は失われた10年、などと言っているが企業にとっては享受した10年であったに違いない。リストラという首切り、派遣労働法の改正、銀行の債権放棄。 この結果が今日の企業が最高益を出し続ける源泉なのであるから。 大企業、いや中小、零細企業もそうかもしれないが、いかに現場に派遣労働者(業務請負と言ってももよい)が多いのか。それが失った10年の明らかなる結果であり、成果なのである。 これから、企業は頭しかもたない組織に変わっていくであろう。それが「企業」とそこにすがりつく一部「正社員」に都合がいいからである。 今回の記事に関して言えば、本当はその企業の名前も出してもよかったのではないか。特別に違法でなければ問題ないはずだ。そのような実名の記事こそが本当の意味での新聞記者の役割ではないのか。 元町工場の労働者である自分は思うのである。 2006年 12月 24日
「塾は禁止」などと、Asahi.comで取り上げられている「教育再生会議」
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/index.html まず、その設置目的を官邸サイトから引用する 以下引用 1.趣旨 21世紀の日本にふさわしい教育体制を構築し、 教育の再生を図っていくため、教育の基本にさかのぼった改革を推進する必要がある。 このため、内閣に「教育再生会議」(以下、「会議」という。)を設置する。 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/kyouiku/konkyo.html 引用終わり この文章を読んで彼らが何をしようとしているのか全く解らないのである。 いまさら、教育とは何ぞやと議論することまでしたくはないが・・・。 国が行う教育とは、国力を上げるためのためなのか?それとも個人の生活を豊かにするものなのか・・・。 まあ、それは両方だろう?ということなのだろうが。 しかしながら、現在の義務教育のお粗末さといったら比較になるものは無い、それが一部の歪んだエリート階級を作ろうとしているのである。 公立学校(小学校から高等学校まで)の教員ときたら、勉強を教えるというよりも、官僚、公僕が、たまたま学校に来て学童、生徒と対峙しているだけ。書類作りが生き甲斐だ。 子どもを教育することに対する自らのもがきも目標のかけらもないのではないかと親として思うのである。 現在の親達の世代はゆとり教育の前の世代であるから、現在の子どもが受けている教育は自分達の受けていた教育よりも質が下がっていることを肌で感じているに違いない。私もまさにそうだ。 しかし、このことが教師を苦しめていると言っても過言ではない。 なぜならば教師(教員養成系大学)よりもレベルの高い教育を受けてきた母親達が、直接教師に対してクレームをつけるからなのである。 教師はいち公務員であり、レベルの差はあっても教育指導要領に則って教育をしているにもかかわらず、なのにである。 もちろん教師はそのプライドにかけても、その生業のプロフェッショナルでなければいけないし、クレームをつける人間たちはアマチュアなはずなのにである。 では、その教育指導要領を決めてきたのは、民主主義が正常に機能しているという前提に立てば、我々国民なのである。 その覚悟も責任も放棄しておきながら、いち教員を責め立てるのはそれこそ、自分達が享受してきた民主主義を根本から否定することになるということなのである。 まあ、はっきり言って教員も、もう少し熱心に勉強してもらわなければ困るのは間違いない。ただ、それを担任教師だけにむけるのは若干違うように思うのである。 校内暴力がおこってから(私はその真っ只中生徒としていた)、教育をゆとりのあるものに・・・・というのはその当時の一般的世論ではなかったのか。 その世論に押されて、「ゆとり教育論」なるものが、当時の文部省の”あの”教育課長の頻繁なるテレビ出演ともあいまって出来上がったのである。 (私個人としては、学校できちんと授業内容で授業が行われてくれるほうが重要であった。授業の成り立たない学校に毎日いくことになんの意味があるのか、とそのときに思ったものである) 世論もおおむねそれを肯定的に受け入れていたように思うのである。 しかしながら、逆に昔よりレベルの高い学習内容であれば、塾にも通わせなくとも学校の授業にどれだけきちんとついていくか、ということが親が子どもに対して行う公教育への協力ということも肯定的に行われるのであろう。 翻って、現在の産業のありかたについても、昔よりも進歩のスピードは速く、レベルは上げていかなければならないということは必至なのである。 苦しくともそれを行っていかなければいかなければならないということを政府も教育再生会議も発言していかなければいけないであろう。 その大衆民主主義的な延長に、今回の首相官邸主導の「教育再生会議」などという与太話が出てくるのである。 そして、今回取り上げられた「塾は禁止」などという発言をする輩がでてくるのである。 大体、このような会議の場合にそこに選ばれた人間は「成功者」だけなのである。 それで、どのような結論めいたものが出てくるのか。 成功者には塾はいらないであろう。 成績の悪い人間には必要だと言っているようだが、それは現在の公教育の現場の相当なるレベルアップを前提としているのであろう。 しかし、現場を知っている人間たちなら、それが直ぐには成し遂げられないものであるということはわかっているはずだ。 そして、また枕言葉のように「座長はヒトラーだ」などと、マスコミ受けのいいような事を言う人間がでてくる。 ヒトラーは、国民に対して禁欲主義者的なふるまいをしていたことも事実であり、ただの独裁者という側面だけの例えは、あまりにも稚拙である。 タバコも吸わない、肉も食べない、酒も飲まない、結婚もしない(最後はしたが)。 ヒトラーがそのような人間であることも知っておく必要があるであろう。という私の枕言葉である。 もう我々は、自らが自己責任において自らの子ども達に教育を与えるしかなくなってきているのだ。 いくら議論をしても教員のレベルも親のレベルも直ぐに上がるものではない。 だから私は日本が3等国家としての生き方を模索せざるを得ない時に来ているのではないかと思うのだ。 政府もはっきりと、「日本は3等国家となります」と国民に発信をするべきだ。 それで救われる人達がどれだけいるか計り知れないのである。 私の過去に書いた稚拙なブログ 3等国家のススメ http://jiyuuishi.exblog.jp/459918/ 2006年 12月 03日
昨今、報道をみると「いじめ」に関する報道が増えているようだ。 どうも実際に学校内で「いじめ」が突然増えたわけではなく、これまで隠していた数字が実態とはかけ離れていたというのが本当のところであろう。 ここで、教育委員会の問題を取り上げる気は全く無い。なぜならば教育現場での対応は彼らには全く無関係、政治的な問題での介入は積極的に行うが、それ以外は全く無関心な彼らだからだ。 さて、私の妻が学校から配布された、いわゆる保護者向けの書面「文部科学大臣からのお願い」をここに公開する。(文部科学省からの直接の紙では無いようなので、この書面を出すと住んでいる地域も特定されるのかもしれないが・・・) 文部科学省が出した書面らしいが、あまりの内容の薄さに呆れるのである。 その書面の中のいち文に 「一つしかない生命。その誕生を慶び、胸に抱きとった生命。無限の可能性を持つ子どもたちを大切に育てたいものです。」 とある。 このような、全く心を感じない文章も久しぶりに見た。 なんとも、無味乾燥の官僚的文章である。このような文章を恥ずかしくもなく片手間にアリバイ作りの為に書いている役人とそれを配ってしまう破廉恥な文部科学省大臣 伊吹文明 この大臣の下の名前を覚えさせるのにはうってつけの書面くらいに思ってしまうのは私だけか・・・。 文部科学省がどう思っているのかわからないが、いじめによる自殺がゼロとか、いじめによる自殺ではないとか、私はもう聞き飽きた。 地域に警察があり、刑法があることは、理由はどうあれこの社会に犯罪が起きることを前提としているわけだ。 この前提に対しては一部反対論があってとしても社会的認識は当然得られてるものであろう。このように考えれば、「いじめ」たるもの起こりうることで、最悪自殺にいたることもあるという認識を持つ方が真っ当であろう。官僚と教師たち(一部か多くかは分からない)が一緒になって 「いじめ」見ないふりキャンペーン をはってきたとしか思えない。しかもそこから生まれるのは思考停止だけである。 まず、「いじめ」があるという前提に立てない限り、それに起因する自殺も防げず、またそれをあたかも社会の問題にすりかえようとする関係者たち。 自分達教師、官僚もかなりの部分責任があってしかるべきなのである。 通常、管理している人間(大臣)が書く書面が発行されるとき、最初に書かれる文言は常識的にいってこうであろう、 「教育者たる教師たちの力も及ばないことがあることは反省せざるをえません、ただ皆さんにも協力していただきたい・・・・」 ということであろう。 自らの組織の長たる人間は、その管理する人間達の責任に関して一切触れていないとはどの様なつもりなのか。 そのような常識的範囲で物が言えない人間達が教育に携わっている事もまた問題なのである。 全てが教師の責任であるという気持ちは一切ない。 ただ、教師とそれ以外の人間達(両親など)が両者で「いじめ」があるという前提で連携することだ。 しかしながら、両者ともそれも出来ない世の中になりつつあるのも、また事実のような気がする。 教師よ、君達の仕事は子どもをいかに健全に教育するかなのであって、書類を書くことではないのだよ。 2006年 11月 05日
久しぶりに映画館へ行った。 あのクリント・イーストウッド監督の『父親たちの星条旗』である。 http://wwws.warnerbros.co.jp/iwojima-movies/ 基本的に、プライベートライアンから続く米国製戦争映画の続きということである。 クリント・イーストウッドという人間はどのような国家感を持っているのか分からないのであるが、アメリカという国家がどう形成されてきたか、ということに関してはアメリカ人としては客観的に物を見ていると思う。 言い古された言葉ではあるが、アメリカという他民族、移民国家においての国民は求心力なくして国家として存在しえないのであろう。 それが、作られた英雄であり、自分がアメリカ人であることを他民族の社会に植えつけようとする数々の国策なのである。 日本は極めて単一民族国家に近いのであり、日本で生まれたことだけで日本人としてのアイデンティティを持つことが可能なのである。(とはいえ、持っている人間がどれだけいるかということはあるのだが) アメリカでのこのような国民を意図的に高揚させる国策は、今のイラク戦争でも同じであろう。 その国家感を見せられた映画ということになるのであろう。そのためにこの映画では面白いストーリーというよりも、国家というものへの猜疑心が全面に出されている。 太平洋戦争を題材にした現在のアフガニスタンからイラクへ続く米国ネオコン連中の国家戦略への批判映画ではないか、と思うほどなのである。 そして、国家がおこなう戦争というものは、「加齢臭と死臭にまみれているものだ」と感じたのである。 第二部、「硫黄島からの手紙」12月9日公開の宣伝を見た限りでは、日本人は何故60年でこうも変わってしまったのか、いや、もう当時の日本人を正確に演技し、それを演出さえ出来なくなっていることを残念に思う宣伝なのである。基本的に60年前の日本人と今の日本人の顔も精神構造も変わってしまっている。 出てくる連中のほとんどは、ジャリタレに毛が生えたようなものであり、こと中村師童にいたっては、たんなる下衆な現在の日本人そのものではないのかと思うほどの人間として表現されている。 これが、本当に当時日本の精鋭であった海軍陸戦隊かと思わせるほどなのである。 小生は、第二部の公開は日本人に総スカンをくうことを断言することを拒まないのである。 下記サイトは硫黄島に関しての研究サイトです。(日本語サイト) 「硫黄島探訪」 http://www.iwojima.jp/ 2006年 10月 15日
北朝鮮の核実験以来、きな臭くなってきた東アジア情勢。
そこで、日本の中でも「核武装論」がちらほらと聞かれるようになってきた。 我々日本国民が60余年前の東京裁判に未だ束縛されているのは周知の通りであり、これまで小生は述べてきたとおり東京裁判を受け入れたことは即ち「核武装、核攻撃」を国際間紛争において行使して構わないということになってしまう。 現在も東京裁判を認めるか、認めないかが議論されているのものではあるが、認めないのであれば国際紛争に核兵器は行使できないということにもなるのではないかと考えられるのである。 しかしながら非核三原則を掲げてはいるものの、現在の日本政府の公式見解は「東京裁判を受け入れてサンフランシスコ講和条約に批准した」ということであるから、核武装自体は問題ないとなってしまうのである。 その矛盾を突きつけられた、北朝鮮の核実験なのである。 ただ、日本は世界の中で唯一核攻撃を受けた国としての背負わされた役割と、義務、これを前向きに果たさなければならないという基本的理念があることは望ましいことであるのだが、 これは自らの核武装とはそろそろ切り離さなければいけないのではないかと思えてきたのもまた事実なのである。 今の日本は、やはり「東京裁判」(史観ではなく)自体を日本国民として総括しなおす時期にきているのではないか。 我々はもう、刃物で恫喝を受けながら生活するのには限界がきているのではないか。 今回の北朝鮮の核実験の行使をもってそう思ったのである。 このブログの過去の記事 広島の原子爆弾投下に思う http://jiyuuishi.exblog.jp/459872/ 参考>>>>> asahi.com 2006年10月15日18時50分 自民政調会長「核保有の議論必要」 首相は三原則を強調 自民党の中川昭一政調会長は15日、北朝鮮の核実験発表に関連し、日本の核保有について「核があることで攻められる可能性は低いという論理はあり得るわけだから、議論はあっていい」との認識を示した。安倍首相は国会で「我が国の核保有という選択肢は一切持たない」と答弁している。だが、日本も核武装するのではとの見方が海外の一部で出る中での与党の政策責任者の発言は、波紋を広げそうだ。 テレビ朝日の報道番組などでの発言。中川氏は非核三原則は守るとの姿勢を示したうえで、「欧米の核保有と違って、どうみても頭の回路が理解できない国が(核を)持ったと発表したことに対し、どうしても撲滅しないといけないのだから、その選択肢として核という(議論はありうる)」と語った。 一方、安倍首相は15日の大阪府内での街頭演説でも「北朝鮮が核武装を宣言しようとも、非核三原則は国是としてしっかり守っていく」と明言。中川秀直幹事長も記者団に「首相の発言を評価している」と語り、党として議論するつもりはないことを強調した。 また、公明党の斉藤鉄夫政調会長は同じ番組で「議論をすることも、世界の疑念を呼ぶからだめだ」と反論。民主党の松本剛明政調会長も「今、我が国が(核を)持つという方向の選択をする必要はない」と述べた。 2006年 09月 18日
![]() 今年も、去年同様第二次大戦の日本における具にも付かないドラマを制作した東京放送(TBS)。 去年は「涙をながそう」キャンペーンなどと、戦没者を愚弄する内容であったが、今年も大差はない。 「僕達の戦争」とい題名らしい。(これも昨年の映画「男たちの大和/YAMATO」を見て原作を決定したのだろう) http://www.tbs.co.jp/boku-sensou/ ドラマ自体は一瞬見たのだが、主人公が上官を建物の裏で殴り倒す、など滅茶苦茶な内容。 基本的に内務班での上官の理不尽な暴力を扱いたかったのだろうが、メンチを切る部下など当時いたのか・・・。 彼ら東京放送(TBS)に言わせれば、それはこの物語がSFだからということで許されるというのであろう。 もう、東京放送(TBS)のこの手のドラマにいちいち文句をつけるのは消耗するだけなのでこのあたりでやめておく。他のブログできちんと書いてくれている人が多数いるだろうから。 私として、毎年ドラマの内容以上に気にかかることがあるのだ。 「サイト上の掲示板」http://www.tbs.co.jp/boku-sensou/bbs/index-j.html この掲示板を書き込もうとすると、基本的に東京放送(TBS)の検閲を受ける。 電波を独占している既得権益者はどこからの批判も賞賛も受けるのが当然の立場なのである。なぜならば電波を与えているのは我々納税者であって、日本が民主主義であるという大前提にたてばその代執行として総務省が東京放送(TBS)に免許を与えているのである。 その最大のスポンサーである「納税者」の意見に対して「検閲」とは何を理由に驕っているのか。 この連中の卑しさを垣間見る思いなのである。 自分達が総務省の注意を受けたときには「検閲許すまじ」のような論調で反論していたが、自らおこなっていることは、その総務省がおこなったこと、また戦前の大日本帝国が報道機関におこなっていた「検閲」そのものなのである。 ”自らの意に沿わないものは載せない。”この文章の最後尾の掲示板の抜粋を見ればこの卑しい姿勢がひと目で分かる。彼らは何様なのだろうか。しかも、不掲載の理由は答えられない、とのたまう。これは戦前の「不許可」印を押していた軍部を同じではないか。 君らこそ、戦前の国家の言論統制を無批判に現代の世の中で大衆向けに行っている張本人ではないか。 恥を知りたまえ。 私は、昨今の日本人は「恥を知る」ということが欠如していることにより様々な犯罪等が起こしていると考えているのだが、まさにその中枢は報道機関ではないだろうか。 その連中は平均的納税者の何倍もの給与を得ている。ただの会社員なのに、既得権益に守られているだけで外注業者に極端に安くモノを作らせ、自分達は既得権益で得ている電波を使って流すだけ。 こんないい商売は他にはないであろう。不労所得にも等しいくらいだ。 昨今、東京放送(TBS)では亀田(ボクシング)批判問題において、2ちゃんねる掲示板の監視を行い、書き込みを行って、掲示板の世論操作をしたということも巷間囁かれている。 このような行為をおこなってまでも自分達への批判を潰そうとする報道機関とはいったいなんなのだろうか。 報道機関は、様々な意見と戦って、戦って、戦いぬいて信頼と報道する自由を得るのが報道機関としての使命ではないのか。 日本の報道機関を十把ひとからげにするつもりはないのだが、ネットが成熟すればするほど報道機関に対する不信感は増すばかりなのである。 東京放送(TBS)よ、皆の言うように、ここで一回電波利権を放棄してみたらどうか。 ◎ 昨年8月に書いた私のブログ(昨年も掲示板の検閲があった) まったくもって報道機関ということを放棄しつづけていた。 http://jiyuuishi.exblog.jp/460066/ ++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ ◎僕の戦争の掲示板書き込みの注意を示す。 -------------------------------------------------------------------------------- 《 TBSホームページ上の掲示板注意書き 》 メッセージ送信後、ボードに掲載されるまでにはしばらく時間がかかります。 また夜間から朝にかけてはメンテナンスのため、休止モードに入り、その間のメッセージが反映されるのは翌日以降となることがあります。 また土日などは予告無く休止モードに入ることがあります。 個人情報(メールアドレス、URLを含む)の表記はしないでください。 宣伝行為、個人・団体や作品への誹謗中傷、著作権、肖像権を侵害する様なメッセージはおやめください。 いちど投稿されたメッセージの、後からの削除・変更には一切対応いたしません。ご了承の上、ご投稿ください。 ユーザー・視聴者の方が掲示板に書き込まれた、過去の放送内容の再掲に関して、TBSはその情報を保証いたしかねます。ご留意ください。 スタッフの判断によりメッセージを掲載しないことがありますが、掲載されなかった理由等のご質問には一切応じかねます。 上記に同意の上ご投稿ください。皆様のご理解とご協力をお願い致します。 【 上記に同意のうえ書き込む 】 (傍線筆者) ----------------------------------------------------------------------------------- ◎ 以下に、サイトに掲載された掲示板の一部を示す。(かわいそうなので、いちおう名前は消しました) ---------------------------------------------------------------------------------- ありがとうございました。 このドラマをずっと楽しみに今日まで待ち遠しく過ごしていました!! そして見終わって今、率直に思うことは60年前も現在も同じなんだな、ということ。 もっともっと今を、この瞬間を大事に過ごしていこうと心から思わされました。本当に役者さんたちの熱演に、心を打たれました。未來さんが出演するということでこのドラマに出会うきっかけとなったのですが、感謝です。 「僕たちの戦争」というドラマのおかげで今まで背を向けてきた"戦争"というものを少しながら理解することができました。心からありがとうございました(^v^) ****(18)女性 2006年09月17日23時25分03秒 僕たちの戦争 最高! このスペシャルドラマを見て、かなり感動しました。 森山未来さん、めっちゃすごかったです! 最後が、かなり気になるぅ~! もう1回見たいです! ****(13)女性 2006年09月17日23時24分45秒 私の感想 戦争をテーマにした物は好んでみています。 他番組の最後のナイチンゲールしかり僕たちの戦争しかり舞台が沖縄である事もとても興味がわきました。 正しい戦争はあってはならないし、こんな日本にするために戦友達がって台詞も心に響きました。 それと、森山君の演技とても良かったです。ジンジン伝わるって言うか。これからも応援します!! ****(38)女性 2006年09月17日23時24分44秒 最後は・・・・・ 最後海から出てきたのはどっちなんですかぁ??? 教えてください・・・・・!!!!!!!!! ****(18)男性 2006年09月17日23時24分17秒 僕たちの戦争について たった今、僕たちの戦争を見終えました。森山君のさわやかな演技、ちょっとギャグテイストも盛り込まれていて、気持ちの良い2時間を過ごすことができました。正しい戦争なんてない、今も昔も人の考えていることは同じだなど、思わず涙してしまうシーンもありました。今の世の中が、この戦争の上に成り立っていることを改めて確認しました。明日から少しだけでもがんばろうかな。これからも良いドラマをお願いします。 ****(36)男性 2006年09月17日23時24分13秒 あの曲は? 最後に流れてた曲は? ヒロトのような声だったけど、、、 ****(43)男性 2006年09月17日23時23分48秒 ラストは・・・? 原作も同じようなラストなんでしょうか。 それが狙いかもしれませんが、曖昧すぎませんか? ****(34)女性 2006年09月17日23時23分44秒 森山未來さん 改めて森山未來さんの演技力に感激しました。ドラマを見てこんなに心が動いたのも久しぶりです・・・ストーリももちろんおもしろいのですがやはり森山未來さんだからこそこれだけの作品ができたと思います。すばらしい時間をありがとうございました。 ****(19)男性 2006年09月17日23時23分44秒 あれ? 最後はどっちが生還したの?区別がつかない~ ****(35)女性 2006年09月17日23時23分36秒 最後 最後は、やっぱり入れ替わったのではないでしょうか。 (元に戻った) 吾一は、もともと寿命がきれていたわけで、あそこで母なる海に還ったということでしょうか。 最後のポーズは羊水の中に浮かぶ赤ちゃんのようでした。 命はお腹の中の子へ…と、勝手な解釈をしてしまいました。 国のためじゃない!自分のため、みなみのため! そうして散った命もあるし、国のため!と散った命もある。 そんな英霊の作った国がアメリカを思わせる今の日本… いろいろ考えてしまうものです… ****(30)男性 ----------------------------------------------------------------------------------- 「大本営海軍部発表、本日、マリアナ沖において・・・・」 にそっくりな内容なのである。 2006年 09月 03日
過日、山口県の国立徳山工業高等専門学校で殺人事件が発生した。
大変失礼とは分かっているが、高等専門学校(高専)が一般社会でこれだけ活字になったことは今までなかったことだろう。 そこで、メーカーで、技術系の人間ならば知っていることも多かったが、文系や、一般社会が知らなかった高等専門学校(高専)について少し書いてみたいと思う。 高等専門学校という教育機関は文部科学省管轄でいえば、高等教育機関でありながら、中学校を卒業して5年過程を学ぶという機関である。 高等教育機関であるため、そこで学ぶ人間は「学生」と定義される。中学校、高等学校は「生徒」であり、その辺りからもなじみの無い教育機関であるとも言える。 昭和37年(1962年)にいわゆる高専法で高等専門学校の設置が認められ、全国に国立、公立、私立の高専が設立された。 その中でも大きく分けると、工業高専、電波高専、商船高専、(旧航空高専)等、いくつかの種類があるが、これは大学の工業大学、電機大学、商船大学などの違いと同じような程度のものである。 昭和37年(1962年)は、社会的にはまだまだ貧しく高等教育を受けられる比率もまだまだ少なかった時代であったため、優秀であるにも関わらず経済的に恵まれない家庭に対して設立したのではないかと考えられる。 学費も各設立母体(国立、都立、私立)の高等学校にプラスアルファした程度で5年間理科系教育を受け、当時の就職先での扱い短大以上大学未満という扱いであった。 設立当初は前述のような社会的情勢でもあったため、学費の魅力もあいまって極めて高い入試倍率であり優秀な学生が多く入学してきたと聞く。 ただ、現在のように社会的にも大学全入などと言われる昨今、高等専門学校の社会的役割は非常にニッチでマイナーなものになってきており、高等専門学校卒業後に大学の編入を前提として入学してくる者も増えている。 高等専門学校も社会的に大学全入に対して存在意義をアピールするため、研究生などとして5年卒業後も2年間在籍させて大学卒業”程度”と社会的に認知させる体制をとっているのが現状であり、大学との違いも不明確となってきた。 20年数年前には、高等専門学校卒業生を3年に編入させ、基本的に修士卒計4年間までを前提として学ばせる大学として設立されたのが、現国立大学法人長岡技術科学大学、現国立大学法人豊橋技術科学大学である。現在は高等学校の一般卒業生の方が多いと聞くと、他大学への編入がしやすくなったのだろうとも推測できるのである。 特に国立の高専、地方の公立の高専はいまだに非常に優秀な学生が多い。私の知っている人間も国立高専を卒業していたが非常に優秀であった。 今後の高等専門学校という枠組みをそのまま続けていくのか、大学のように独立行政法人にしてしまうのか、少子化に向けて更に議論が出てくるものではあるであろう。 しかし、高等専門学校ができてから40年以上たって、一般社会の認知度が殺人事件のような残念な原因で上がるのは悲しいものである。 最近では、高等専門学校卒業の上場社長も出てきているのに、それ以上の活字化はやはりこのような殺人の記事であった。 いつもの事ながらセンセーショナル主義のマスコミには辟易するのである。 優秀な大学卒のマスコミの記者に高等専門学校の卒業生はいないであろうから・・・。 2006年 08月 16日
先日NHKで”第38回 思い出のメロディー”などという番組をやっていたので見てしまった。下記がその紹介のアドレス http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2006-08-12&ch=21&eid=24798 実際に私が見たのはフォーク系の部分で、おおむね昭和40年代(1965年)から50年代(1975年)にかけてのものだった。 私自身生まれが昭和40年(1965年)の東京ということもあって、これらの音楽は幼稚園、小学校時代に聞いた歌だったはずである。 さすがに小学校高学年くらいに流行った曲などはその時の記憶として残っているのだが、その前あたりはこんな歌もあったなあ、という感じでテレビを見ていたのである。 その昭和40年代とは、いわゆる70年安保を中心とした10年間であり新宿騒乱、全共闘、ベトナム戦争、国内での左翼過激派の先鋭化と内ゲバ、国労、動労のストライキ、順法(遵法)闘争など、世間はあたかも人間の成長過程の反抗期のようにうねっていたと思うのである。(もちろん旧ソ連のコミンテルンの後ろ盾があったこともあるが) 昭和50年(1975年)当時私自身は当時その現場ともいえる東京に住んでおり、山手線などに「スト決行中」などの短冊状のものが緑色の車体が見えなくなるくらい貼られていたことを思い出すのである。 街は反逆という名目の若者のエネルギーと、国内外のテロリズム、アメリカと小国ベトナムの戦争、テレビでは幾度と無くベトナム戦争の映像が流されいたことを思い出す。 東京の国立競技場の脇の”明治公園”に行けば、常に何らかの集会をやっていたことも記憶としては大きな一部である。 しかし、わたしは今、その当時のフォーク系の歌を聞くと、なんとも言えない不安感に襲われるようになってきていることに気づいた。 そのNHKの番組ではアナウンサーが、 「元気をくれた歌」、「素直な歌」などと言っているのは、まったく的外れの遠い出来事のようにも思えたのである。 社会が常に不安感が漂っている状態では、それを敏感に感じる子供の自分は、知らないうちに不安感を覚えたのか、それとも私だけがそうなっているのか。 そんなことを感じさせた番組だったのである。 私のような人間がいつの世にもいるのならば、世界で常に起きている戦争状態の中での子供達、大東亜戦争、特に末期の子供達の何人か、いや、どのくらいの人数になるのかわからないがいた筈である。 いまも、レバノンで、イラクで、北朝鮮で、それ以外にも内戦状態の国々で、子供達はその状況を受け入れざるを得ない状況で生活しており、将来について彼らの精神状況には何か残ってしまうのではないかとも思ったのである。 たしかに、戦争でもない程度の内容で不安になる私が弱く、私自身が不安定要素を持ち続けているのだが。 私の父親も陸軍幼年学校を受験した軍国少年だった(不合格だったが)。 私の母親は疎開児童だった(田舎の子供達にはいじめられたという)。 私の義理の父は、朝鮮半島から命からがら逃げてきた(朝鮮人の追いはぎに家財を渡して逃げてきた)。 皆、不安という社会状況を通り過ぎてきている人たちだ。 あの人たちに、不安を思い出すことはないのか。 そう、私の母は私が小学校の頃にも「空襲の夢を見て怖かった」と戦後20年以上たったときにも言っていたことを思い出す。 その母の不安は戦後から絶え間なく続いていたのだろうか。 私もそのような長い記憶の枷をはめられて生きているのだろうか。 2006年 08月 06日
PC修理より帰還せり。
購入より2年でマザーボード交換せしめたる。 私はSONYを好きなのだろうか・・・。 ねじれた感情が私を支配しているのであります。 つれあいも、電器製品を買うときに私が最終的にSONYを選択することについて、 「あんなに、SONYダメ って言ってたのにまた買うんでしょ、結局、SONY一番好きだって言えばいいじゃない。」 んー、そこが言えないところが、まさに私の中のSONYなんです。 SONY製品全般への信頼度って、私の中では30年前と変わっていないところが凄い。 でも、分からないがSONY。 東京通信工業、そんな名前でも買っていたでしょう・・・。 これで、SONYのPC2台目なんですが・・・(爆 2006年 07月 25日
2006年 07月 17日
パロマ社のガス湯沸かし器で中毒17件、15人死亡らしい。
パロマ社曰く、不正改造でありパロマは関係ないということを主張している。 売ったら後は自らの責任は無く、実際に設置している人間が全ての責任を負うものだと。巷間 報道では、ガス検知器の誤検知(または精度がよすぎるだろうか?)で、それを回避するために結線を不正に改造していたという。 この事件では死亡者は15人以上ということである。 翻って、シンドラー社は、何人の死亡なのか、国内においては1人だろう。(だからといってシンドラー社がいいというわけではない) シンドラー社も言っていたではないか、「メンテナンス業者が悪い」と。 パロマに当てはめれば「設置業者が悪い」ということになるのか。 両社の基本的スタンスは同じなのだ。 「内向きの製造業」という新しき分類。 社内の問題点を出来るだけ外に出さないで、それを隠蔽することが担当管理職の出世につながっていく。 元々、日本の製造業というものは利用者、設置者の性善説に立って物事の設計、メンテナンスが行われてきたと言っても過言ではないであろう。 性善説に基づけば、設置業者は不正改造を行わないし、利用者も検知器の誤作動については許容されるものなのである。 しかし、この性善説に基づく製造業というものは、逆に問題が起きたときには直ぐに責任をとるということと同意義であるはずなのだ。 それがこれまでの日本の製造業のやりかたであったし、その対応が購入者や、利用者には納得できるものであったのだと考えられるのだ。 性善説製造業という考え、これは日本社会でのコミュニティーの崩壊によって加速度的に変化していき、製造業(メーカ)が主導の製品製造になっていることも確かであろう。 製造業は今後はどのような形の社会的責任を負わなければならないのか。 これまでとは違う、性善説に立たない製品製造を行わなければならないのであろう。一つの事象でも問題が考えられればそれに対する対策を行い、設計や製造にフィードバックをかけていく。 それがこれまででも当たり前といえば当たり前なのだが、これからは更に悪質な事にも慎重にならなければならないのか。 日本人が性善説に頼れなくなった分、それが物事の全てのコストに跳ね返ってくることを購入者も、利用者も覚悟しなければならないが昨今の日本社会なのである。 しかしその根本原因を作り上げてきたのは、日本人自身が崩壊させてしまった個人における社会性なのであるから。 >>>>>参考 http://www.asahi.com/national/update/0714/TKY200607140514.html 2006年 07月 03日
間抜けな事件に思える今回のタレントの赤坂御用地内不時着事件。 これは基本的に笑い事ではない。 理由がどうあれ、赤坂御用地に上空から侵入するといことは普通に考えても撃ち殺されても仕方がないのである。 それを行った日本テレビという既得権益会社であり、社員の不祥事も隠し通し、他の報道機関の指摘で初めて報道し、それを擁護する元社員達。 あまりにも破廉恥な連中に今回の反省はないであろう。逆に話題性が出て視聴率が上がってこれ幸いというところだろう、これは間違いない。 今回の事件では皇宮警察が侵入者を撃ち殺さなかった事は、今後の警備体制について根本から考え直さなければならない契機になるであろう。最悪の状況を考えれば侵入者がテロリストであって、上空から銃やロケット弾を撃ちながら侵入してきた場合どうしたのであろうか。 それこそ皇宮警察は全員玉砕であり、その後皇室一家は全員殺害されるのである。その場合の責任は誰がとるのか。今回の侵入を許した責任を誰がとるのか。 小泉純一郎は腹を切るのか。警察庁長官、宮内庁長官も続いて腹を切るのか。 今回の場合、皇宮警察は口頭で注意・・・。 これがもし一般人が侵入してきたとしても口頭で注意なのか?立派な建造物侵入の罪、下手をすれば国家反逆罪で逮捕されるであろう。 皇宮警察の警備の甘さや組織としての出鱈目さを隠すための口頭う注意なのか・・・。 いや、口頭注意や、笑い事では済まないのである。 今後同じような事件が起こった場合、口頭注意で済ませるという法外な処置をしたことを前例として世間に知らしめた皇宮警察の罪は、計り知れないほど重いのである。 日本の近代史の中で皇室が直接殺害を目的として狙われたことがないことで、皇宮警察はただの儀礼隊に落ちぶれているのである。そこで起こった事件、我々もそろそろ「日本国の統合の象徴」を失ってしまうときが来ることを覚悟しなければならないのかもしれない。 極左暴力集団といわれるトロツキスト諸君! 日本テレビと共謀して天皇の首を獲れ! そうだ、日本テレビがつぶさに君達の真の革命的行動を報じてれるのだ。 行け!革命戦士達よ!日本テレビと共に! 君らが起す御用地侵入も、口頭注意で済ませられるはずなのだから! 参考>>>> オリラジ不時着パラシュートで赤坂御用地 人気お笑いコンビ、オリエンタルラジオの中田敦彦(23)が2日、日本テレビ系番組「全国高等学校クイズ選手権」の収録のため、男性インストラクター(35)とともに東京・神宮球場にパラシュート降下しようとしたところ、赤坂御用地内に不時着した。突風が原因だが、中田や番組プロデューサーらは皇宮警察本部から厳重注意を受けた。 中田とインストラクターは約2100メートル上空のヘリコプターから、同球場グラウンドに設置されたクイズの答え=「○×」エリアに着陸予定だった。降下可能な気象条件を、風速15メートル以内、上空から地上が目視できることとしていた。 東京はこの日、大気の状態が不安定で、朝から強風注意報が出ていた。降下時刻の午後0時30分時点も小雨が降っていたが、風速5~10メートルで、地上も見えたため、パイロットと地上スタッフらがゴーサインを出したという。しかし、突風と雨にあおられ、約1キロも離れた御用地内の鮫が橋門近くの草地に落ちた。とんでもない“武勇伝”に、グラウンドで相方を待ち構えていた藤森慎吾(23)も「あっくんが~」と場をつなぐしかなかった。 2人ともけがはなかったが、不時着地点の約200メートル南西側には皇太子ご一家が住む東宮御所があり、笑えないハプニングだった。皇宮警察は「パラシュートで御用地内に誤って降りたなど、聞いたことがない。どんな状況にせよ、降りてはいけない所」とカンカン。中田らから事情を聴き、口頭で厳重に注意した。インストラクターは「球場に着地できないと判断し、安全な場所を探した。降りたところが御用地とは思わなかった」と説明したという。 日本テレビは「関係者にご迷惑をおかけしたことをおわび申し上げる。楽しみにしていた高校生が見守る中、申し訳なかった」と話した。番組は予定通り放送するという。 日刊スポーツ [2006年7月3日8時13分 紙面から] 2006年 07月 02日
共同通信の下記記事では”?”がついているのが最後の良心か、ここに来て初めて「ゆとりの効果」などという文部科学省の大喜びするような国立東京海洋大学(旧東京商船大学と旧東京水産大学の合併大学)の教員たちの見解なども出てきている。 しかし、これは本当だろうか。 下記記事の大島弥生助教授によれば以前は「話し合うのを嫌がる学生が多かった」ということなのか。これはある意味納得できるのである。ゆとり教育で育ってきた学生達には基本的に知識背景がなくともそれを恥と思わないという(いわゆる一般教養や、学問について)事が恒常的であって、それに気づいていない彼らはなんでも話せるのだ。そう、厚顔無恥とでも言おうか。 莫迦な自分の大学生の子供と比較するのは大変おこがましいのであるが、全く世間一般の物事、勉強に対しての関心はなく、ごくごく自分の周りのことにしか興味がない。そのような人間達は何を言っても同じようなレベルの他の人間に糾弾されるはずもなく発言できるなどというのが現実なのかなあと思ってしまうのである。 詰め込み教育と巷間いわれていた頃は、発言するには基本的な知識背景が必ず必要であり、それに依拠する形で発言するというのが前提ではなかったか。だから発言する人間はそれに対する糾弾や、質問に関して答えられるというところまでを考えると、発言しにくいとなっていたではないか。話し合うことは自分のレベルが知れることであり、自分のレベルを知られたくないということもあったであろう。 まあ、今の団塊の世代の頃の学生もレベル的には単語が難しい意外同じではなかったかなあと思うのである。自らが表面を舐めただけのトロツキズムも難解な単語や、孫引きの言葉の羅列であったことは学生運動が結果的に瓦解したことを見ればそのレベルはわかるであろう。 「ゆとり教育」など、結果的には長い時間から見れば大して変わりはないのである。恥を知っているか知らないか、その程度の事。団塊の世代から階級の再生産は脈々と行われているという説もあるのだし。 それを仰々しく騒ぎ立てる、しかも「日本語表現法」の教授。 もう少し、うまい日本語表現で彼らを褒めてみたらどうなのかなあと。そうすれば世間の「詰め込み教育派」も「ゆとり教育」に納得するであろうに。 もうひとつひねりの欲しい記事であることは間違いないようだ。 参考>>>>>> 議論OK、学生変わった? 「ゆとり第一世代」入学 共同通信社 2006年 7月 1日 (土) 18:29 授業時間や学習内容が少ない新学習指導要領の下で学んだ“ゆとり教育第一世代”が今春、初めて大学1年生になった。人前での議論が平気で、プレゼンテーションが得意な学生が増加。大学教員からは「今までの学生とは違う」「ゆとりの効果では」という声も上がっている。 「話し合うのを嫌がらない学生が多く、今年は授業がしやすい」。東京海洋大で1年生に日本語表現法を教える大島弥生助教授は変化に気付いた。書きたいテーマを決めて学生同士の議論を重ね、リポートに仕上げる授業で、学生の積極的な発言が飛び出す。 2006年 06月 24日
福井日本銀行総裁の、いわゆる村上ファンドへの1000万円の投資で1400万円の利益を得ていたことが問題視されているだ。
まあ、この問題で特に私のような木っ端労働者が何を言ってもただのひがみ以外の何ものでもないのであるし、民主党がその問題をこれ幸いと利用していること以外何も意味を持たないものであるし、そのこと自体勝手におやりなさい、というところなのである。 しかし、この問題で気になっていることは、マスコミが平気で「庶民的感覚がない」などと口にすることなのである。そもそも日本銀行総裁個人として「庶民的感覚」を持たなければならないのか、日本国の中央銀行の総裁がその業務を「庶民的感覚」で行われたらそれこそ日本国民は路頭に迷わなければならないであろう。 そのような役目が日本銀行総裁なのであり、日本国の中央銀行としての公の業務ではないのか。もちろん国策や、一部金融システムの安定化が一時的に庶民を苦しめてもそれが長期的な視点において国民を救うための明確なる目的のあるものであるならばそれを国家的業務として行っていただければいい。ただそれだけなのである。 しかも、今回福井日本銀行総裁の個人所有の株までが取得時の額面の何倍にもなっていることも問題としているマスコミまで出てきている始末である。その内容をみれば、普通の投資家であれば優良銘柄、というだけの一般投資家も購入できる銘柄ではないか。その株価が上昇したことまでも問題というならば公職についている者全ての人間の所持している銘柄を問題視しなければならないであろう。 私自身は、所持している銘柄が金融関係、銀行関係ならばすれすれ問題ともいえるかもしれないが、そうでない限り全く問題はないと思っているのである。 今回、いわゆる村上ファンドが利益を出して、それに投資していた福井日本銀行総裁は、マクロ経済ではないにしろ、ある程度経済のわかっている人間なんだなあと思ってさしあげないといけないのではないかとも思うのである。ファンドなどというものは私のような木っ端労働者には縁のないものなので詳しくは分からないが、元本割れもするものなのではないか、それを元本以上、さらには最終確定で2倍以上の利益が出ていたのであるから福井日本銀行総裁も、やることはやっているなあ、という考えなのである。 ひいては、「約款のなんやらかんやらを見たかどうか?」などと質問している国会議員がいたが、そんなもの元々村上君に投資する、ということが目的なのであるから、戻ってこなくてもいい金だったのだろう。しかもマクロ経済を専門とするならば、約款の隅々まで目を通すことなど全く持って意味のないことであろうから。 そうやって、お金持ちの人間達はお金持ち同士で儲けるのは全く構わないと思うのである。 私は特にうらやましいとは思わない、今の分相応と時々のちょっとした贅沢が出来ればいいのである。 ただし、そのお金持ちの人間達に覚えておいてほしいことがひとつだけあるのだ。お金を自分「だけ」のため、更なるお金儲けのため「だけ」に稼いで使うということはやめて欲しい。人間ひとりが生活するには多すぎるお金を稼いでいるのであればそのいくばくかでも、税金以外の方法で社会に還元してほしい、いやさしあたってはそれを考えて欲しいということである。 昨今の日本人は、「分相応」という言葉を忘れてはいないか。そのような控えめで美しい概念があるから「分相応」に金儲けする金持ちも「分相応」に生活する、そうさせてもらっているのだからこそ庶民のために何かしてやろうというものなのだ。世の中モノクラスがいいとかアメリカンドリームだとか言っている輩がいるが、そろそろそれが日本人の風土にも合わず、さらにはそれが世界的にも破綻をきたしてきている(一部の低所得国の生活向上には日夜取り組まなければならないが)ことを再認識しなければならにのであろう。 さらに言っておけば、モノクラス化を求むるのであれば、最終的に「天皇家解体」を意味するのであり、そこまでの覚悟を持ってその言葉を口にしてもらいたいものなのである。 諸君達お金持ちといわれる階級においても、それは社会という様々な階層の人間が生活している背景があってこその儲けなのである。それが「分相応」の理解であってほしいのだ。 また、マスコミのいう庶民的感覚などというものも、マスコミ諸君の生活と同じでとは言えない、というレベルの問題ででそれ以上でもそれ以下でもないのは明白だ。 何年か前、朝日新聞の新卒募集の広告を見たが、初年度で年収700万円を超えていた。たぶんそれが庶民的感覚なのかなあとも思うのである。 いつもそうなのですが、今回は高熱、風邪で頭が回らずかなり文章が破綻しております。 2006年 06月 18日
港区住宅公社が管理するマンション「シティハイツ竹芝」にて男子高校生がエレベータにて圧死するという事故が起きたことは読者貴兄もご存知であろう。
そのエレベータの製造会社がシンドラーエレベータ社であるという。今回の報道を受けて様々な報道機関がシンドラー社のエレベータの不具合を調査し、全国で何件発生している等報道している。 ここにきて、やっとシンドラー社はあくまで”一部の機種”の制御盤に”プログラム”の不具合があったことを認めているが、基本的な設計に関しての不具合は認めていない。 製造業の常識から言えば全国でこれだけの不具合や、故障(レベルの問題があるのだが)などが起きれば基本的な設計に問題があったと考えるのが妥当であろう。その時点で改修なり、設計変更、改善対策をすることがユーザーを守り、ひいては自らの会社を守ることになると考えるのではないか。 もし、現時点で、改修が終わったというのであればそれこそ罪は重い、その程度の時間で済むことを行ってこなかったのであるから。 この話を書いていてひところの”三菱自動車”、”ふそう”、を思い出すのである。社内で情報が収集出来ていたにも関わらず、それを隠蔽、個々のユーザーに対してウルサイ客に対しては個別で対応するというやり方。隠蔽をすることで、社内的立場を守るという内向きの対応。 そのやり方にそっくりではないか。 私見ではあるが、あの日本法人の外国人社長も本社への報告を行わず、できれば日本国内で処理、隠蔽できればシンドラー本社に戻って出世の道も開けたのであろう。しかし今回の事故でその出世の道は閉ざされたといってもよいであろう。 ここまで、シンドラー社は、独立系エレベータメンテナンス会社のメンテナンスに問題があったと言っているが、そこまで2年間シンドラー社直接のメンテナンスでも不具合はかなりの回数起こっていたようであるから、自らのエレベータが何らかの問題を持っていることを認識していた筈である。それでありながら、メンテナンス会社に全責任があると発言するのはあまりにも早計であったのではないか。 ただ、独立系エレベータメンテナンス会社のレベル(社会的モラルや作業のレベル)がどうであったのかは、きちんとした検証を行った報道を期待するしかないのであろう。また、同様にシンドラー社のメンテナンス部門の作業レベル、技術レベル、情報の本体への報告についてもどのように行っていたのかをきちんと報道してもらいたいのだ。 シンドラー社も、メンテナンス会社からメンテナンスの要領書等の提出がなかったため必要な書類を出さなかったと言っているようだが、もし本当に要望があったら提出してくれるのか、はなはだ疑わしいのである。 シンドラー社はあくまでもも製造会社であり、設計、制御の情報をメンテナンス会社に出すということは競合他社に情報が漏れるということとイコールであり、基本的にそれはできないであろう。メンテナンス会社もその辺りは判っていて要望しないとも考えられるし、またシンドラー社は要望がなかったことをいいことにメンテナンス会社への責任転嫁をしているように思えてならないのだ。 本当に、シンドラー社がメンテナンスのことを考えているのであれば、製造責任のある会社として他社に設計、制御の情報などは出せない。とはっきり言って欲しいものである。そう宣言すればメンテナンスを競争入札で切り替えた港区住宅公社の責任も明確になるのである。しかし、そこをあいまいにするからシンドラー社が責任転嫁にやっきになっているという印象がぬぐえないのである。 報道も、現在シンドラー社のエレベータの不具合を見つけるたびに、鬼の首をとったように報道を行っているが、その報道を見るたびに、何と比較してシンドラー社のエレベータの不具合件数が多いといっているのか、と感じるのである。多いなら多い、それではどのようなレベルで、どこの何と比較して、ということである。 日本には他にエレベータメーカが何社かある、ほとんどが国内大手電機メーカー系であり、それらとの客観的数字の比較がないのはそのスポンサーである彼らに対する配慮ではないかと思ってしまうのである。 しかも、日本メーカよりも2~3割安いことをことさら取り上げているが、事故が起きればそのように安いものは悪いような報道のしかたをするのもいつものやり方である。2~3割安くとも、きちんとした設計とメンテナンスが行われていれば構わないわけで(結果的に今回は死亡事故を起こしたが)、本当に努力をして同じように2~3割安く製品を作り上げても、報道の印象が強くそれ自体が悪いことであるように思われてしまうのである。 ついこの前まで、価格破壊がいい、などの論調をつくりあげてきたのは誰だったのか。 その反省をしてもらいたいものである。 しかし、われわれの生活というものは技術が進めば進むほど砂上の楼閣であり、先端技術の重要性もさることながら、裾野の技術、技能がどれだけ重要なもの(いわゆる社会的存在として)であるかをあらためて考えさせられる事故なのである。 製造業の末端に席を置く自分としては、自らに置き換えて考え仕事を進めなければいけないとあらためて思ったしだいなのである。 最後に、亡くなられた男子高校生の冥福をお祈りいたします。 2006年 06月 11日
昨今、少子化対策大臣などがいるように、子供が少ないことに危機感を持つのが政府の流行のようだ。
しかし、その少子化対策とやらは、生まれてから何年かの問題に限られており、全ての人間にお金をばら撒く方式を想定しているように見受けられる。 では、実際巷間問題となっている子育てに対する悩みは何かといえば、公教育で高等学校まで通わせようとしても平均的な公教育の教育の質が低いということであろう。 これは逆を返して言えば、ある程度の所得を持つ親の子供は中学校から私立に行き、高等学校も私立、そして一般的には大学へ進学するのである。しかし成績がよくても親の所得が低ければ公立中学、高等学校を選択せねばならず、そこまで成績が良くとも公立中学、高等学校の質の低さが大学進学への差となって現れているのが現実であろう。 私立の中学校、高等学校は年間100~170万円(くらいか)程度かかるといってもいいであろう。しかも、そこに入るためには何年間か塾に通ってきたという生徒が多いのである。ということは授業料の他にその前段階としての塾の費用もかかってくるということであろう。 私は、いわゆる首都圏に住んでいるのだが、都立、県立の高等学校の質の低下はなげかわしいほどである。これも、いわゆるゆとり教育というものの弊害なのかわからないが、都立の優秀な高等学校でも東京大学(ここがいいというのではなくあくまで例として)への進学の人数は20年前の何パーセントか。 少子化問題は、皆が子供を将来自分と同じか、それともそれ以上の学問を身に付けてほしい、しかしそこに行き着くには自らの所得では非常に厳しくなってしまった。そう考えているのが現状ではないのか。 教育にお金をかけられるか、かけられないかで、中学校、高等学校レベルの教育の質の差がつくのは見ていてもあまりにも理不尽におもうのである。 もちろん、元々学校など行きたくないという層も、塾へ行かなくとも成績がいい層もあるであろう。しかし公教育としては常に質の高い教育が受けられる学校を用意しておくべきだと思うのである。これがひとつたりとも存在しないのでは、いわゆる今はやりの格差問題、少子化問題もあいまって批判されても仕方ないものであろう。 少子化問題の根本は、公教育の衰退にあり。 そう思う昨今なのである。 都道府県別東大合格者ランキングと公立高校占有率 2005年6月26日新規作成 http://homepage3.nifty.com/katu-kobayashi/hiroshima/toudai_05.htm >参考 1 asahi.com 児童手当に乳幼児加算 政府の少子化対策素案 2006年06月08日06時34分 政府・与党が今月中にまとめる少子化対策の素案が7日、明らかになった。児童手当の乳幼児加算や不妊治療の公的助成拡大など、新生児・乳幼児期の家庭向けの経済的支援を手厚く盛り込んだのが特徴。05年の合計特殊出生率が1.25と過去最低を更新し、抜本的な少子化対策を求める声が高まっているが、歳出削減を進める中での財源確保は難しく、児童手当拡充についてもその規模や財源は示していない。税制改正では、子育て家庭支援税制、子育て支援企業優遇税制を検討項目として例示した。 素案は、自民、公明両党や政府の少子化社会対策推進専門委員会の報告書などをもとに内閣府が作成。子どもの成長に合わせ、各時期に必要な施策を挙げた。 「新生児・乳幼児期」向け対策では、乳幼児手当新設は見送る代わりに児童手当に乳幼児加算を創設するとした。現在月5000円(第2子まで)の児童手当を0~2歳児で1万円に増やすと、年間2000億円程度が新たに必要になる見通しだが、素案では「来年度の予算編成過程で検討し、必要な財源の確保を図る」としており、具体的な財源の手当ては先送りしたかっこうだ。 現行30万円の出産育児一時金の仕組みを変えて入院時に本人が多額の費用を用意しなくても済むようにするほか、妊娠中の検診費用の軽減、子育て初期家庭への全戸訪問などを盛り込んだ。 経済的支援以外の「働き方の見直し」については、育児休業や短時間勤務の普及、長時間労働の是正などをあげる一方で、具体的な対策については踏み込んでいない。 >参考 2 +++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++ (2006年6月10日 読売新聞) 夫は「育児なし」!?8割「妻任せ」…1歳未満の子いる家庭 1歳未満の子供がいる家庭で、育児のほとんどを妻任せにしている夫が8割を超えることなどが、9日、国立社会保障・人口問題研究所が発表した全国家庭動向調査でわかった。少子化が進む中、夫の育児参加が進んでいない実態が浮かび上がっている。 調査は1993年から5年ごとに実施、今回は2003年、全国の既婚女性を対象に行い、有効回答7771人分を分析した。 それによると、1歳未満の子供がいて、夫がまったく育児を手伝わない家庭は9%。育児の「8割以上」は妻が行う家庭は82・4%に上った。1歳未満の子供について、夫が週1、2回以上行っている育児内容をみると、「遊び相手をする」が94・7%なのに対し、「寝かしつける」は51・2%、「食事をさせる」は57・6%にとどまった。 一方、「夫も家事、育児を平等にすべきだ」と考える妻は、74%(93年)から82・8%(今回)に増えたが、夫の家事や育児への参加について「期待している」とする妻は、50・8%(93年)から41・2%(今回)に低下した。 同研究所は、「育児分担が進んでいない。男性の帰宅時間が遅くなるなど、夫が育児に参加しやすい社会環境になっていないことも背景の一つ」と分析している。 >>参考終わり 2006年 06月 03日
下記毎日新聞の記事によれば「セイコーエプソン」が申告漏れ(昔風に言えば脱税というのだろうか?)を行い追徴課税を払うことになったという。 今年2006年の初頭、下記朝日新聞の記事のごとく派遣、契約社員ら3000人を削減する(契約解除、いうならばクビ)発表を行って舌の乾かぬうちの出来事なのである。 しかも、元「正社員」という派遣、契約社員を削減した側の人間は3000万円を着服していたという。 なんとも出鱈目な話である。自らの会社の足元も見られない人間達が、軽々に派遣、契約社員の削減などを言っていたかと思うと極めて卑しい連中であると思わせるのである。 また下記釈明部分のサイトには 釈明サイトからの引用) この不正取引は、発注権限をもった当社元社員が1999年から2001年度にかけて、納期短縮活動のための支出を別の名目で支払っていたものです。 引用終わり 傍線筆者) と、会社の業務命令において行われていたことを認識しているのである。つまり会社ぐるみでの不正であり、その責任だけは元社員に押し付けトカゲの尻尾きりをしたということなのであろう。そのように逃げることが上場会社の社会的責任回避の常套手段であるからだ。 さらにセイコーエプソン社側は「一部見解の相違もあったが、国税局の指摘に従う」と述べている。この言葉には常日頃極めて違和感を感じているのだが、これを一般的な言葉に置き換えれば「いやだけど、言われたから払うよ!払えばいいんだろ!」というところであろう。本当に意見の相違があるのであれば国税局をきちんと法に基づいて訴えればいいのである。このことこそが法令遵守であり、自らの正当性を表わす唯一の手段に相違ないからである。 国税局に目をつけられて困る上場会社ならば、株主や、社員達に対する社会的責任は皆無だといっても過言ではないであろう。 今回のセイコーエプソンの申告漏れ、元正社員による着服を見て、既に削減された派遣、契約社員、これから削減対象となっている派遣、契約社員達はどう思うのだろうか。また、それに対してセイコーエプソンの労働組合の自らの会社に対しての同じ労働者を愚弄してきた責任を追及できるのか、そこが今回の事件の根幹であろう。 結果、新自由主義という企業主体の資本主義は、このように日本国内を跋扈するようである。 その中で資本の攻撃から生き抜かなければならない労働者。 それは労働者の努力以前の問題をはらんでいることを再認識させられるものなのである。 卑しくも労働条件について語っているサイト http://www.epson.jp/csr/social/shain_01.htm セイコーエプソンの申告漏れに関する釈明 http://www.epson.jp/osirase/2006/060602.htm 筆者が過去に書いたエプソンの記事です http://jiyuuishi.exblog.jp/546486/ 参考1>>> 申告漏れ:エプソンが28億円 プリンターなど情報関連機器メーカー「セイコーエプソン」(長野県諏訪市)は2日、東京国税局の税務調査で、05年3月期までの3年間で約28億円の申告漏れを指摘され、重加算税を含め約9億円を追徴課税(更正処分)されたと発表した。 同社は、欧州に商品を販売する際、オランダの子会社を通じて各国販売会社に出荷しているが、一部の販売会社との取引価格を下げたことが支援目的の「寄付金」に当たり課税対象と認定されるなどした。税務調査の中で、元社員が取引先と約1億円の不正取引を行い、約3000万円を着服したことも発覚した。同社ブランド・コミュニケーション推進部は「一部見解の相違もあったが、国税局の指摘に従う」としている。【高島博之】 毎日新聞 2006年6月2日 東京夕刊 参考2>>>>>>>>>>>> 2006/1/27 の朝日新聞 セイコーエプソン、派遣社員ら3000人を削減 セイコーエプソンは27日、06年3月期の連結最終損益の予想を、昨年10月時点の220億円の黒字から140億円の赤字に大幅に下方修正すると発 表した。国内グループ従業員2万8000人のうち派遣・契約社員ら外部人員3000人を今後3年間で削減する。花岡清二社長は記者会見で、今回の下方修正 以外にも「約100億円の追加費用が見込まれる」と述べ、赤字幅が拡大する可能性を示唆した。 修正は、携帯電話向け液晶ディスプレーや半導体など電子デバイス事業が不振で、リストラ費用として388億円を計上するため。同社の業績下方修正は今期3回目。 傍線筆者 参考終わり>>> 2006年 05月 31日
下記のAsahiの記事によれば、社会保険庁の労働組合は、今回の年金不正免除はいわゆる村瀬長官の「ノルマ」により行ったのではない。 と発言しているようだが、もしこれが本当ならば過去そのような圧力とは無縁に職員自らの積極的意思により、年金不正免除(法律違反、公文書偽造)が行われてきたことになる。 本当にそうであるならば、それに関与した職員全員が刑事罰を受けてもかまわない。と自治労は発言していることに等しいのである。 少なくとも今回の社会保険庁の職員達の年金不正免除事件は多くの国民を欺き、裏切ったと言う意味では罪の度合いは相当高い。 その度合いを覚悟して自治労は発言していのであろうか。 どうも私には、自分達がスポンサーになっている民主党へのけん制の意味合いを感じるのである。現在の民主党の党首は自治労の意思に反して、ご存知のとおり小沢一郎、旧経世会の元幹部であり、自民党の幹部であったわけだ。自治労はその小沢一郎降ろしを仕掛けてきているように思えるのである。 自治労としては党首もしくは党に極めて影響力のある幹部の席に、横路氏などの自分達の意思を反映してくれる左派を据えたいという意思があるに相違ないであろう。 今回はその小沢一郎降ろしにおいて、社会保険庁職員を人柱として刺し違える気なのではないか。 そうも思えてくる記事なのである。 また、朝日新聞自体の小沢一郎降ろしの意思表示、そうも考えられるのである。 筆者の社会保険庁関連記事 公務員の年金徴収業務のレベルはこのようなものなのだろう。 http://jiyuuishi.exblog.jp/2311527/ >>>参考 社保庁労組「ノルマのせいではない」 年金不正免除 asahi.com 2006年05月31日20時51分 国民年金の不正免除・猶予問題で、全日本自治団体労働組合(自治労)は31日、記者会見し、「改革において(保険料の)収納率改善は大きな課題だった。ノルマを課せられたことが(不正の)第一の要因ではない」との見解を示した。 全国の社会保険事務局・事務所の職員らで構成する自治労国費評議会の芳賀直行事務局長は「収納率アップに取り組み、達成するために頑張ってきた。『本人のためになるのなら』という勇み足や行き過ぎはあったが、ノルマのせいという短絡的なものではないと思っている」と強調。 また、民主党が村瀬清司・社保庁長官の責任を追及していることについて、自治労の金田文夫書記長は「政党と組合の立場の違いはある。いまの段階で、長官の責任を問うことは考えていない」と述べた。 >>参考終わり
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